《書籍》変調「日本の古典」講義
blogすっかりご無沙汰しているのに
微妙にアクセスがあります。
『多読』で検索してくれてはるみたい。
ありがとうございます。
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内田樹さんと安田登さんの対談本。
いつもは付箋つけながら本を読むことはしないのですが、blogを更新しよう♪と思ったので
気になるページに貼ってみました。
で、貼ってどうする?って話で
気になる箇所をご紹介出来ればと
軽く考えていましたが、
実際にPCの前に座ると
そんなこともう到底出来そうにない。
(根気が続かない)
なので、自分の備忘録としてメモ書きで残します。
・「軒下から『雨降ってきたかな?』と
そっと手を差し出す」動作なんていうのは
見事に身体が整う。
「存在しない物」(手のひらに落ちてきた雨滴ではなく、手のひらに落ちてくるかもしれない雨滴への期待)には身体を整える働きがある。
人類が物語を必要とする理由はこれじゃないかなとふっと思った。
・本当の敬意が心を開く。
いくら「愛している」と言っても開かない心が
無言の敬意に対しては反応するということが起きる。愛情って意外に報われないもの。
でも敬意にはどんな頑なな子供でも反応する。
・先生たちも普段から生徒に対して敬語を使ったらどうかと思う。
・能には予期せぬことがよく起こる。
全体での稽古はしない。「申し合わせ」が一回。そしてその後本番。舞台が進むにつれて熟成してくる。だから能は面白い。指揮者もいなければリハーサルもない。
わざと何かが起こるようにしてあると言っても過言でないしくみ。「能楽は臨機応変」
・分かるための努力をあきらめる。分かる努力を手放した途端に能は突然面白くなる。
・絶対に上達しない方法がある。ある先生のここがいいからここを取る。別の先生のここがいいからここを取る。そういう『いいとこどりをする弟子は絶対に上達しない。と、多田先生が言われた。
「いいとこ」と「悪いとこ」との判定が素人の分際で「出来る」と思い込んでいる傲慢が学ぶことを妨げる。
・能を一番面白く見る方法は、能楽師と同じような身体性を観る側がもつことでは。
・ミラーニューロンの新しい学説が発見された。目で見ていない背後の動作にもミラーニューロンは反応していたという実験結果。
合気道で得た知見と一致。相手のミラーニューロンを発動させてあたかも自発的に「なんとなく、こういう動作がしたくなった」というような感じでこちらが望む通りの身体の使い方をするようになる。「活殺自在」
・合気道開祖、植芝盛平先生は合気道は「後の先」ですかと聞かれて「先の先」であると答えられた。「刀を振り下ろすとその先に相手が首を差し出してくるようなあり方。
・能の『道成寺』の「乱拍子」。数十秒後の長い間の後、急にポンと鼓が打たれ、シテの足が一歩だけ前に出る。(双方見ているわけではなにのに)まさに鼓方の人と舞っている人とのミラーニューロンの一致。
・能を見るという経験自体が高度な身体訓練になっている。能のこういう技術がどれほど深い人間についての知に裏付けられているのか、科学のほうがどんどん解明しているのに、能の面白さを理論的、実践的に語る言葉はまだまだ少ない。
書いてる途中で
こんな風に、まんま書き写していいの?
と思えてきたので
読んで欲しい人に見て貰ったら
削除することにします。
すみません。