Kめさんの命日
6月2日。
もう2年だよ。
なんか
全然信じられないままなんだけど。
Kめさ~ん、
世の中はコロナ狂騒で
ますます
わけわからんカオスになりつつあるよ。
政治の腐敗もものすごくて
末期のソ連か~って感じ。
(末期のソ連ってどんなんか知らんけど)
Kめさんと
話したいことがいっぱいあるよ。
いっぱいいっぱいありすぎて
せやのにKめさんが
どこにもいなくて
ほんまに途方にくれて
ぼーぜんとして
横隔膜のあたりがさみしい。
高島に遊びに行った日にしてた
瞑想の話も、
今ならもっと違う角度で
話せるかもしれないのに。
『自分がない』っていう
ノン・デュアリティ話題も
今!めっちゃしたいのに。
一番話せそうなKめさんがいなくて
この気持ちの行き所がなくて
息が詰まって
パニックを起こしそうな
閉塞感を感じるよ。
ていうか
命日にそんな泣き言言うたら
あかんのかな?
こういう気持ちは
そっと隠しておくものなんかな?